商品紹介

富山の夏の質感
特集Special Reports

城端絹

二頭の蚕がつくる一つの繭。奇跡の絹織物、しけ絹。

通常は、一頭で一つの繭をつくる蚕。
それが、ごく稀に二頭の蚕が力を合わせて一つの繭をつくることがあります。
それが玉繭。そして玉繭からつむいだ玉糸を織り上げてつくるのが、しけ絹。
太さが不均一な玉糸で織り上げたしけ絹は、ところどころに節があらわれ
独特の表情で、見る人を魅了する芸術作品になります。
富山県南砺市、城端。
山間の小さな町で、世界にまたとない絹織物が生まれています。

玉糸が持つ素材の美しさを生かすため職人の手でていねいにただひたすら、ていねいに。

しけ絹を通す柔らかな光。それはまるで月の光のような。川面のきらめきのような。

自然染めした絹織物は、一つとして同じもののない色。新しい感性とアイデアで、さまざまな表情に変わる。

History城端絹にかかわる歴史

城端絹の起源は、今から約430年前、戦国時代末期の天正時代に畑氏によって始められたと伝たえられます。

江戸時代には、城端と小松で織られた絹織物が「加賀絹」として加賀藩に庇護され、城端の絹織物業も隆盛となりました。

元禄時代、絹織物の消費が盛んになり、京都・大阪はもとより大消費地である江戸でも城端絹の販売を行うようになりました。
元禄6年(1693)の記録によると、城端の戸数689軒中半数以上の375軒が絹織物に関与していたと言われています。

明治39年、当時26歳の若さで城端町会議員となり、後に織物組合理事長となった岡部長左衛門の働きにより城端でも羽二重と絽の製織を行うようになりました。それまでは五箇山(岐阜県との県境)の生糸をタテ糸に、福光町(現:南砺市福光)の玉糸をヨコ糸に使用した「しけ絹」が主な生産品目でした。

Spot城端絹にかかわる場所

世界遺産 南砺市五箇山の合掌集落

合掌造りの家では、大きな屋根裏の空間を活かし、養蚕が行われていました。日本の原風景の民族風習は絹の中にも生きています。

城端絹を体感する じょうはな織館

昭和3年建築の洋館で、城端絹織物の文化に触れながら織体験が楽しめます。カフェ、ギャラリー、ショップも併設。

People城端絹にかかわるひと

松井紀子 Noriko Matsui 株式会社松井機業 六代目見習い

1984年南砺市城端生まれ。高校卒業後、上京。大学卒業後は、家業である絹織物業を継ぐように言われるも、東京で有意義な社会人生活を送る。2009年上京した父とともに、客先を訪問したことがきっかけで絹に魅せられ「人生にリハーサルなどない」と思い、1877年より続く家業、株式会社松井機業を継ぐ事に。創業以来初となる独自ブランド「JOHANAS」を立ち上げるなど、織姫の異名を持つ彼女は城端絹の未来を織りなしている。

Products城端絹の商品紹介

しけ絹のシェード

絹の優美な光沢と紬の素朴さが溶け合い、天然のしけ模様が空間を落ち着いた表情に演出します。シェードを通した光は柔らかく、波打つ影を落とします。
しけ絹を二枚重ねて使うことで自然な木目柄が生まれます。

絹紡ストール

絹紡糸をヨコ糸に、生糸をタテ糸に使い、自然豊かな富山の水で精練した絹紡生地のストール。所々に現れる綿状の太い節が独特の風合いを醸し出す生地は、使い込むほどに表情を変えてふくらみを増し、しなやかに育ちます。

シルク配合 入浴剤

昔から「製糸工場の女工さんは、年を重ねても肌がつやつやでシミ一つない」と言われるのは、シルクパワー(セリシン)によるものです。この成分をふんだんに含む加水分解シルクを配合した入浴剤は、お肌に潤いを与える保湿機能に優れています。

しけ絹のコースター

しけ絹に和紙を裏打ちした「しけ絹紙」。ふすま紙として地元に愛されているしけ絹紙に手揉みの染色を施し、コースターにしました。一見和紙のよう…と思うそばから、絹ならではの美しい光沢が現れ、テーブルに置くだけで華やかになります。