新春を彩る富山の工芸品
- 日程
- 2025年 1月4日(土)10:30 ~ 1月9日(木)18:00
- 会場
- 日本橋とやま館
- お問い合わせ先
- 03-6262-2726
富山の伝統的工芸品から、「高岡銅器」「井波彫刻」「高岡漆器」「庄川挽物木地」「越中和紙」の品々をご紹介します。新春の暮らしを彩るアイテムの他、受け継がれる工芸の技と魅力を作品を通して紹介いたします。
■高岡銅器■
高岡銅器は、慶長16(1611)年、二代目加賀藩主前田利長公が高岡城の城下町に産業を興すため、7人の鋳物師(いもじ)を呼び寄せ、特権を与えて定住させたことが発端です。当初は鉄で生活必需品が作られており、その後銅器による梵鐘(ぼんしょう)や灯篭、仏具や装身具などが作られるようになり、一大鋳物産地が形成されました。鋳物の製造工程は分業化されており、現在も、人間国宝や現代の名工をはじめとする多くの工芸士により、大仏やブロンズ像、梵鐘など大型のものからアクセサリー小物まで様々な製品が作られています。
連絡先:伝統工芸高岡銅器振興協同組合
HP: https://douki-takaoka.jp/(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
■高岡漆器■
江戸初期、現在の富山県高岡市に高岡城が築城され、城下町が形成されました。町の一つとして家具類を作る指物屋町(さしものやちょう)ができ、家具に漆を塗るようになったのが高岡漆器の始まりとされています。江戸時代半ばには、中国から漆を塗り重ねて彫刻を施す技法が伝えられ、紅、紫、白などの色漆を使って立体感を出す多様な技術が生み出されました。常に時代に合うものを感じ取り、室内を優美に彩る漆器を製作してきた高岡漆器は、今も受け継いだ技をもとに、暮らしになじむものづくりを行っています。
連絡先:伝統工芸高岡漆器協同組合
HP: http://shikki.ec-net.jp/main.html(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
■井波彫刻■
井波は、富山県南西部、民家が点在する「散居村」の景色が広がる砺波平野の南端に位置し、14世紀末に建立された井波別院瑞泉寺の門前町として栄えてきました。井波彫刻は、18世紀中頃、瑞泉寺(ずいせんじ)の本堂が焼失し、再建の折に京都から派遣された御用彫刻師により、井波の大工に技術を伝えたことが始まりとされています。現在では、寺院彫刻で培った丸彫りや透かし深彫りの技を活かして、欄間や置物など、様々なものが作られています。
連絡先:井波彫刻協同組合
HP: http://inamichoukoku.jp(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
■庄川挽物木地■
慶応2(1866)年、飛騨地方や五箇山の木材の一大集散地であった庄川町に越後屋清次が移住し、ロクロ挽物(ひきもの)の木地屋を営んだのが庄川挽物木地の始まりと伝えられています。横挽(よこびき)による美しい杢目が特徴で、トチやケヤキなどの国産材を使用した椀や盆、皿などの丸物木地製品の生産や、全国の漆器産地に供給する下地(したじ)の製造を行っています。
連絡先:庄川木工挽物会
HP: https://www.shokoren-toyama.or.jp/~shogawa-wood/(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
■越中和紙■
越中和紙は、八尾(やつお)、五箇山(ごかやま)、蛭谷(びるだん)の産地からなります。昭和59年に国の伝統的工芸品の指定を受けるため、三つの産地を総称して「越中和紙」と命名されました。奈良時代の書物に、紙の産地として「越中」が記されており、平安時代には納税品として紙を収めた記録があります。その頃から徐々に障子紙、半紙、提灯紙(ちょうちんがみ)、傘紙などの身近なものを中心に生活の中に紙が取り入れられました。楮(こうぞ)などの自然の植物を使い、時間をかけて作られる和紙は強さと美しさを持ち、人々の生活様式に合わせ変化をとげながら今日に受け継がれています。
連絡先:富山県和紙協同組合
HP:http://www.etchu-washi.jp/(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
富山県伝統工芸品については、下記のサイトをご参照ください。